昨年フランスのマクロン大統領が燃料税を引き上げたため、ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動が起こって、フランスは大変です。税金を上げたがために大変なことになるということは、さかのぼること660年、英仏100年戦争の真っ只中でもありました。1356年ポワティエの戦いで、フランス王ジャン2世はイングランド軍と激突し、フランス軍は大敗しジャン2世は捕虜になりました。ジャン2世には、周囲を弓兵で囲まれているのに、足場の悪い地をただ重装騎馬兵で突撃するだけの作戦しかないのですから、敗戦も当然です。結局ジャン2世は釈放してもらうために、アキテーヌ地方を中心として、ブルーターニュやアンジューなどをイングランドに引き渡し、また300万エキュの身代金を払うことになりました。この時、後を継いでいたシャルル5世は領地が減り、かつ身代金を払うお金もありませんから破産状態に近い状態です。それで身代金の人質になった弟ルイに逃亡を促し、ジャン2世にロンドンに戻ってもらいました。しかし、財政難が解消されたわけではありません。そこで、シャルル5世は、かまどの数に応じて税金をとろうとしました。しかし、貧乏人でもかまどは最低1世帯に一つはあり、金持ちだからと言って100も200もかまどがあるわけではありません。当然庶民の不満は大きくシャルル5世はその実施に苦労しました。こういうときはフランス人ですからワインでも飲んでと言う気分ですが、ワインの生産地アキテーヌ地方はイングランドの領地です。仕方なくリンゴ酒でも飲んで憂さを晴らしたのではないでしょうか。