それはある舞踏会でのこと。フォア・ローゼズの生みの親ポール・ジョーンズは、絶世の美女と出会います。一日で恋に落ちたポールは、迷わずプロポーズしました。でも、彼女は彼にこう答えたのです。「どうか次の舞踏会までお待ちください。プロポーズをお受けするなら、薔薇のコサージュをつけてまいります。」そして、約束の舞踏会の夜。彼女は4輪の真紅の薔薇を胸に、彼の前に現れたのでした。愛が実った素晴らしい瞬間。そんな素敵なエピソードから、『フォア・ローゼズ』と名付けられ、ラベルには二人を結んだ真紅の薔薇のコサージュが描かれたと言われています。と言うのが公式エピソードです。1888年フランスの酒造メーカーであるペルノ・りカールが米国ケンタッキー州でバーボンメーカーとして創業しました。最初ポール・ジョーンズ所有の蒸留所名『ストレート・バーボン』の呼び名でした。禁酒法時代は、薬用バーボンとして法に抵触せず販売しました。1943年カナダのシーグラム・グループが合併し、フォア・ローゼズの銘柄で、ブレンデッドウイスキーの製造を開始しました。シーグラムは、売れ行きが良いにもかかわらず、米国での販売を停止しました。そして、アジア及び欧州の市場に集中的に販売し、世界で最も売れるバーボンになりました。トウモロコシとライ麦の原料にこだわり、酵母にこだわり、技にこだわった、花のような果実のようなそのほのかな香りとなめらかな味わいの薔薇のバーボンです。
更新日時 : 2016年06月30日
カテゴリ : 世界のお酒
三角柱のボトルと言えばグレンフィディックですが、その姉妹品のブレンデッドウイスキー、バランスがとれた円やかなスコッチウイスキー、アルコール臭もピート臭もなく、安くて癖が無く日本人好み、それがグランツです。グランツを飲みながら、英国EU離脱について、思いを馳せました。グラスゴー地区はスコットランドの重要地域ですが、離脱の投票が多かったようです。グラスゴーは18世紀の大経済学者アダム・スミスの研究拠点となった地です。日本では見えざる手ばかりが有名ですが、国富論を読むと、大陸の重商主義批判が主要論点であることが分かります。そして、彼は大学教授でもあり関税官吏でもありました。そのためか、目は新大陸に向かい、英国が海洋国家であることを深く認識していました。アダム・スミス先生も国民投票をすれば、離脱に投票しそうです。英国は18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ大陸には深くかかわろうとせず、大西洋から、7つの海に乗り出し、パクス・ブリタニカを実現します。英国が他国と同盟を結んだのは1902年の日英同盟が最初です。しかし、第2次世界大戦以降、英国は戦勝国であり連邦であるためか米国の援助がなく、経済的に大変苦しくなり、1960年代ECに参加しようとします。そこに立ちはだかったのがフランスのドゴールです。ECに参加したのは1970年代ドゴールが死去した後になります。ECの後継体がEUですが、英国にとってEU参加は、大陸とは離れていたい、海洋国家でありたいという歴史的願望とは反するものです。離脱は必然かもしれません。
更新日時 : 2016年06月25日
カテゴリ : 世界のお酒
白樺の活性炭でジーズネンナヤ・ヴァーダー(命の水)つまりウオッカを濾過する製法が開発された時は、エカチェリーナ2世のもとロシアが段々強国になっているときでした。エカチェリーナ2世は、プロイセンの小貴族の娘でしたが、ピュートル3世と結婚しました。ところが、夫のピュートルは、反ロシア的であり、反ギリシア正教的であり、またエカチェリーナを皇后の座から降ろそうとしたため、彼女はクーデターをおこしました。エカチェリーナは、軍服の男装で軍を鼓舞し、ロシアの国益のみを図る啓蒙女帝となりました。そのエカチェリーナの積極性あるいは進取性のせいか、当時ウオッカもフレーバーウオッカを生み出しました。その中に、クリミア産のリンゴと梨の葉を浸漬し、ポートワインや砂糖シロップそして3年熟成のアルメニア産のブランデーをブレンドしてオーク樽で3年以上熟成させて作られるスタルカというウオッカがあります。ほかのウオッカにはない香りと、豊かなコクをもち、さらに辛口です。スタルカは帝政ロシアの名残があるためか、ソ連時代はオールドウオッカと呼ばれていました。ソ連が崩壊してしばらく終売となり、幻の銘酒でした。2009年スタルカとして復刻しました。ロックでも十分美味しいですが、冷凍庫で十分冷やしてドロッとしたスタルカをストレートで飲むのが通だそうです。
更新日時 : 2016年06月17日
カテゴリ : 世界のお酒