2017年09月の酒店日記

チリが農業やワイン産地として特別な場所になれたのは、極端なまでにユニークな地理的条件があったからに他なりません。アタカマ砂漠、アンデス山脈、パタゴニアの氷河、そして太平洋の大海原によって形作られた天然の境界線は、チリを手つかずの場所として守り続けてきました。19世紀、ワインの歴史上最悪の危機であったフィロキセラ禍((ブドウネアブラムシがブドウの木を枯死させる)によってヨーロッパを中心に世界中の葡萄畑が壊滅的な打撃を受けた時も、チリはその難を逃れることが出来たのです。さて、ピノノワールはカベルネソーヴィニヨンと並ぶ赤ワインの代表的品種です。ピノノワール種を用いた赤ワインは比較的軽口で、渋み、タンニンが少ないので日本人には飲みやすいかもしれません。ただ、酸味が強いものがありますので、ご注意を。そして、栽培にはやや冷涼な気候を好み、高温多湿には特に神経を使います。従って、チリのセントラルバレーは、暖かな日差しと冷涼な気候の組み合わせですから、ピノノアールには最適と言えましょう。マンクーラ ガーデアン レゼルヴァ ピノノアールは、タンニンが控えめで、若干甘く、一寸シャープでフルーティです。テーブルワインとして、お薦めです。

更新日時 : 2017年09月29日
カテゴリ : 世界のお酒

人吉・球磨地方に隣接する鹿児島県北部、大口市に郡山八幡という神社があります。昭和29年、建物の改修中に、右の写真の木札が発見されました。これは、神社の座主がたいへんなケチで、焼酎を一度も振る舞ってくれなかった・・・という不平を宮大工がつづった落書きとされています。実は、この「落書き」が、現在、我が国に残されている最古の「焼酎」という文字です。落書きが書かれた永禄二年(1559年)当時は、球磨の領主相良氏の最盛期で、その領地は現在の県境を越えて、鹿児島県の大口市周辺にまで及んでいました。つまり、戦国時代には、すでに相良氏の領地には焼酎があり、庶民の楽しみとして、広く浸透していたのです。では、宮大工の作次郎、助太郎が所望した焼酎とは、どんなものだったのでしょう。この落書きだけでは、その原料や味わいをうかがい知ることはできませんが、芋焼酎でなかったことだけは確かなようです。この時期、サツマイモはまだ日本に渡来していませんでした。永禄二年当時、相良氏領地として、人吉・球磨との人や物の行き来が盛んだった鹿児島県北部で飲まれていた焼酎は、米、あるいは雑穀を原料とした「人吉・球磨スタイル」のものだった可能性が高いのです。この伝統を受け継いだ米焼酎が高橋酒造の本格米焼酎しろです。 食中酒としてどんな料理とも相性がよく、素材本来のよさ、味わいを引き出します。上品な香り、軽やかな口当たり、透明感のある、すっきりとした味わいの淡麗タイプの米焼酎です。ロック、水割り、ハイボール、あるいはボトルごと冷凍庫で冷やしてクールショットでも美味しく召し上がれます。

更新日時 : 2017年09月22日
カテゴリ : 日本のお酒

ヨーロッパではナポレオンが力をつけ始め、アメリカではテネシー州が16番目の州になった頃の1796年、開拓初期のケンタッキー州で、バーボンの先駆けであったベイジル・ヘイデンが蒸留を始めました。彼は、単一の蒸留所で作られ、2年以上の熟成期間を経た本格的なケンタッキーストレートバーボンにこだわっていました。のちに1882年、3代目である孫のレイモンド・B・ヘイデンが祖父の創業に敬意を払い、自社バーボンに“オールド・グラン・ダッド(偉大なるおじいちゃん)”と名付けました。オールドグランダッド80は、マイルドでスムースな飲み口、深い香りと味わいで、バーボン通の人々に愛されています。アルコール度数は80プルーフ(40度)です。1987年以降、ジムビーム社で生産していますが、原料配合比率は昔ながらにライ麦が多く、独特の香味を醸し出しているのでファンが多いのでしょう。スパイシーな味わいが特徴で、ロック・水割り・カクテルにも向いています。

更新日時 : 2017年09月15日
カテゴリ : 世界のお酒

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