激怒はジョージの蒸留所への破壊行為や彼への暴力行為へとエスカレートし、彼の命まで狙われることになりました。ジョージは、ピストルを持ち何度となく発砲までして、反撃しましたが、1871年彼が亡くなるまで決着はつきませんでした。蒸留所は、彼の息子ジョン・ゴードン・スミスが引き継ぎました。ジョンが引き継いだとき、配送船の水夫たちが輸送の間に樽からウイスキーを吸い上げたり、競合の蒸留酒造業者は自分のボトルにグレンリベットのラベルを貼っていました。
1876年、ジョンは模造品の製造に終止符を打つために、グレンリベットの名前をトレードマークにするための申請をしました。長年の訴訟の結果、ジョンは、自分の蒸留所製造のウイスキーを「ザ・グレンリベット」と呼べる占有権を勝ち取りました。ジョージ・スミスのウイスキーである本物のグレンリベットだけが、定冠詞THEを付けることができたのです。
更新日時 : 2015年12月12日
カテゴリ : 世界のお酒