南フランスのメドック地区のあるボルドーは、ジロンド県の県庁所在地です。このジロンド県の出身者が多かったことから、フランス革命時、ジロンド派が一旦政権を握ったことがあります。その中心人物が右のロラン夫人です。民間出身のロラン夫人は上昇志向が強く、20歳年上の工業監督官ロラン氏と結婚し、リヨンに住んでいました。フランス革命が始まったのちロランはリヨン代議員に選ばれ、リヨンの債務削減交渉のためパリに派遣されました。夫婦2人でパリに上京すると、ロラン夫人はブリッソーやピュゾーらジロンド県出身者の集まるサロンを経営し、ジロンド派を立ち上げます。彼女はロラン氏のお尻を叩き続け、ついにはロラン氏を内閣の筆頭大臣である内務大臣にまで登らせました。しかし、ロベスピエール好みの彼女はダントンと決裂し、最後にはすべてを失い処刑されました。彼女の「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」という処刑前の言葉は有名です。処刑された2日後、逃亡先でその知らせを聞いたロラン氏はは自殺しました。ロラン氏にとっては恐妻でもありますが、可愛い奥様でもあったのでしょう。さて、1889年創業のジェ.ジェ.モルチェ社は、当時、ボルドー地方メドック地区第一級格付「シャトー・ラフィット」の管理責任者であり、更にいくつかのぶどう園のオーナーでもあったルイ・モルチェによって設立された歴史ある名門ネゴシアンです。そのジェ.ジェ.モルチェ メドックは、ミディアムボディで非常にキメ細かく、香気があり、素晴らしいブーケをもっております。ロラン夫人を偲んで乾杯!
更新日時 : 2017年11月03日
カテゴリ : 世界のお酒