少年少女のころ、椋鳩十先生のいろいろな動物記を読み、感動して心をふるわせた方は多いと思います。さて、その椋鳩十先生を中心とする選者が、「薩摩に双つと無い」という意味でさつま無双と言うネイミングをした焼酎があります。昭和41年5月、鹿児島県の代表的特産品である「焼酎」を広く県外・さらに世界へと広める為に、県・市・各機関の要望と鹿児島酒造協同組合傘下の全業者の協力のもと、作り出された焼酎がさつま無双です。その後昭和45年10月、株式会社に組織変更し、その代表銘柄名を冠して「さつま無双会社」として今日に至っております。さて、アメリカンオークで4年熟成し、樫樽貯蔵特有のアロマの香りとまろやかで甘く古酒ならではの深みが特徴の芋焼酎が樽囲いさつま無双です。樽貯蔵焼酎の単一樽のみ使用し、“焼酎のシングルカスク”をコンセプトにした、樽囲いです。ロックやソーダ割りでお楽しみいただけます。
更新日時 : 2017年10月06日
カテゴリ : 日本のお酒
人吉・球磨地方に隣接する鹿児島県北部、大口市に郡山八幡という神社があります。昭和29年、建物の改修中に、右の写真の木札が発見されました。これは、神社の座主がたいへんなケチで、焼酎を一度も振る舞ってくれなかった・・・という不平を宮大工がつづった落書きとされています。実は、この「落書き」が、現在、我が国に残されている最古の「焼酎」という文字です。落書きが書かれた永禄二年(1559年)当時は、球磨の領主相良氏の最盛期で、その領地は現在の県境を越えて、鹿児島県の大口市周辺にまで及んでいました。つまり、戦国時代には、すでに相良氏の領地には焼酎があり、庶民の楽しみとして、広く浸透していたのです。では、宮大工の作次郎、助太郎が所望した焼酎とは、どんなものだったのでしょう。この落書きだけでは、その原料や味わいをうかがい知ることはできませんが、芋焼酎でなかったことだけは確かなようです。この時期、サツマイモはまだ日本に渡来していませんでした。永禄二年当時、相良氏領地として、人吉・球磨との人や物の行き来が盛んだった鹿児島県北部で飲まれていた焼酎は、米、あるいは雑穀を原料とした「人吉・球磨スタイル」のものだった可能性が高いのです。この伝統を受け継いだ米焼酎が高橋酒造の本格米焼酎しろです。 食中酒としてどんな料理とも相性がよく、素材本来のよさ、味わいを引き出します。上品な香り、軽やかな口当たり、透明感のある、すっきりとした味わいの淡麗タイプの米焼酎です。ロック、水割り、ハイボール、あるいはボトルごと冷凍庫で冷やしてクールショットでも美味しく召し上がれます。
更新日時 : 2017年09月22日
カテゴリ : 日本のお酒