からり芋の醸造を手がけるのは芋焼酎の本場・鹿児島県日置市の小正醸造日置蒸溜蔵です。明治16年創業、120年を超える伝統蔵元である小正醸造の伝統の技と魂は、からり芋の美味しさにもしっかりと生かされています。からり芋は蔵元の技術と原料に特にこだわっています。芋はすべて契約農家の方の畑で獲れたものです。その土は幾度も深く耕やされ、日光をしっかり浴び、酸素をたっぷり含んだ健康な土です。そして畑ごとに最適な肥料を施すなど、よい焼酎造りのために畑作りからはじめています。原料に使われる芋は、鹿児島県産の黄金千貫(こがねせんがん)100%です。契約農家の方が芋成熟時期を見きわめて収穫、翌日には蔵元へと運ばれます。焼酎の出来を左右する芋の「旬」、そして「鮮度」にしっかり気を配っています。蔵元に運ばれてきた芋を、まずチェックします。そして、洗浄時に傷んだ部分を一つ一つ手作業で丁寧に除去していきます。良質な黄金千貫のさらに良いところだけを厳しく選別して、原料に使用しているのです。麹は白と黒の2種類を使用しています。さらに、独自の蒸留器を用い芋本来の風味を残してきれの良い後味に仕上げました。水は、シラス台地でろ過された蔵の地下水を使っています。旬の風味と香りをどうぞお楽しみ下さい。
更新日時 : 2017年07月07日
カテゴリ : 日本のお酒
子供の頃、少年版源平盛衰記を読んでいて、鹿ヶ谷の陰謀で俊寛和尚が鬼界ケ島に流された話が妙に恐ろしくずっと記憶に残っています。平清盛全盛の時(1177年)、後白河法皇の側近であった僧都俊寛は鹿ヶ谷の山荘に藤原成親や西光らを集め、打倒平氏の陰謀をめぐらせました。ところが、この陰謀は発覚し、俊寛は薩摩国の鬼界ケ島に流され、この地で亡くなりました。このおどろおどろしい鬼界ケ島が、現在では夢と伝説の島喜界島です。坊主前(ボウズンメイ)と呼ぶ地に俊寛の墓があり、島の人々や観光客の供える花や線香に絶え間はありません。喜界島は鹿児島県大島郡のなかにあり、奄美群島国立公園に属します。ここに、100年ほど前喜界島酒造が創業しました。喜界島酒造が生産する長期貯蔵酒「沙羅」は、すっきりした味わいが特徴の黒糖焼酎(25度)です。黒糖焼酎本来の「コク」また爽やかな香りを決して損なわないようにして、出来上がった秀逸作です。すっきりした味わい、爽やかな香りを是非ご賞味ください。
更新日時 : 2017年06月23日
カテゴリ : 日本のお酒
司牡丹酒造、竹村家の屋号は「黒金屋」と言い、慶長8年(1603年)より土佐(高知県)の佐川の地にて酒造りを営んでいました。一方、坂本龍馬の本家「才谷屋」も、質商・諸品売買等と併せて酒造りを営んでいました。「才谷屋文書」によると、才谷屋と佐川の酒屋との間には頻繁な交流があったことが記されており、竹村家には天保2年(1831年)、黒金屋弥三右衛門が才谷屋助十郎から酒林壱軒(酒造りの株一軒分)を買ったという書状が残っています。また、「才谷屋」と「黒金屋」は姻戚関係があったようです。さらに極めつけは、竹村本家には坂本龍馬の手紙(慶応2年3月8日、甥の高松太郎あて)も所蔵されており、代々受け継がれているのです。そして、佐川の地は維新の志士を数多く輩出いていること、龍馬の脱藩の道に当たっていること等を重ね合わせれば、「才谷屋」と「黒金屋」、坂本龍馬と司牡丹の関係は、因縁浅からぬものがあるといえるでしょう。司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の中にも登場し、司牡丹は龍馬が飲んだ酒として知られていますが、実際は龍馬の時代には司牡丹の酒名はまだ付けられていませんでした。もちろん酒名はまだでも黒金屋の酒自体は存在していた訳であり、前記の通りの因縁の深さから考えれば、当然龍馬もこの酒を飲んでいたことでしょう。この因縁から司牡丹酒造は龍馬からの伝言「日本を今一度せんたくいたし申候」をつくりました。龍馬の大志の如き骨太な味わいを持ちながら、後口はあくまで爽やかにサラリと切れる、キレ味抜群の超辛口純米酒です。
更新日時 : 2017年06月03日
カテゴリ : 日本のお酒