イングランドは1066年ノルマンディー公ギヨーム2世によって征服されました。教科書的に言えば、ウイリアム1世によるノルマン王朝が開かれるコンクエストです。しかし、実態はイングランド南部を支配していたアングロサクソン族のハロルド2世が、フランス北部のノルマンディーを支配していたノルマン族のギョーム2世に、イギリスのヘイスティングズの戦いで敗れたというわけです。なお、ギヨームはフランス語読みで、英語ではウイリアムになります。先回お話したジャン王のジャンは仏語で、英語にするとジョンです。おそらくは、ギョーム2世は本拠を依然としてノルマンディーに置き、イングランドの支配はノルマンディー出身のフランス語を話す貴族たちで行われていたでしょう。従って、当時のイングランドの公用語はフランス語です。さて、ノルマンディーは、フランス北部で寒いため、ブドウを生産できませんでした。しかし、リンゴは豊富でした。当時のイングランドでは、フランス語を話しながら、リンゴ酒を飲んでいたでしょう。
文献上でワインの醸造が初めて登場するのは、紀元前5000年ごろのことです。このころに起こった出来事をシュメール人が書き綴ったメソポタミア文明最古の文学作品である「ギルガメッシュ叙事詩」に、洪水対策の一環である船の建造に携わった労働者にワインが振る舞われたと記されています。ギルガメッシュはシュメール人でウルクの王だったのですが、その王が伝説化して、世俗的なヒューマニズムに描かれた叙事詩です。紀元前5000年ごろのものと思われる遺跡から、ワイン造りで必要な果汁を絞るための道具だと考えられる石臼が発見されました。そして、アンフォラと言うワインを貯蔵する素焼きの壺も発見されています。これは、紀元前5000年ごろにはワインの醸造が始まっていたと考えられる要因の1つです。さらに、ワインの原料となるブドウを育てるためのブドウ畑があった痕跡も残っています。
また、メソポタミアにほど近いエジプトでも、壁画などにワインを造るための道具が描かれていたことから、紀元前4000年代にワインが造られていたと考えられています。この時代にはビールの醸造も始まっていましたが、ワインはビールと比べて高級品だったようです。ビールの遺跡はピラミッド建設の作業場跡に多く発見されているからです。
昨年フランスのマクロン大統領が燃料税を引き上げたため、ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)運動が起こって、フランスは大変です。税金を上げたがために大変なことになるということは、さかのぼること660年、英仏100年戦争の真っ只中でもありました。1356年ポワティエの戦いで、フランス王ジャン2世はイングランド軍と激突し、フランス軍は大敗しジャン2世は捕虜になりました。ジャン2世には、周囲を弓兵で囲まれているのに、足場の悪い地をただ重装騎馬兵で突撃するだけの作戦しかないのですから、敗戦も当然です。結局ジャン2世は釈放してもらうために、アキテーヌ地方を中心として、ブルーターニュやアンジューなどをイングランドに引き渡し、また300万エキュの身代金を払うことになりました。この時、後を継いでいたシャルル5世は領地が減り、かつ身代金を払うお金もありませんから破産状態に近い状態です。それで身代金の人質になった弟ルイに逃亡を促し、ジャン2世にロンドンに戻ってもらいました。しかし、財政難が解消されたわけではありません。そこで、シャルル5世は、かまどの数に応じて税金をとろうとしました。しかし、貧乏人でもかまどは最低1世帯に一つはあり、金持ちだからと言って100も200もかまどがあるわけではありません。当然庶民の不満は大きくシャルル5世はその実施に苦労しました。こういうときはフランス人ですからワインでも飲んでと言う気分ですが、ワインの生産地アキテーヌ地方はイングランドの領地です。仕方なくリンゴ酒でも飲んで憂さを晴らしたのではないでしょうか。