19世紀、フランスのブドウ栽培が害虫によって大きな被害を受けた際、遠く離れたチリにおいて、純粋なフランスの苗木が守られました。以降、フランスなどからブドウ栽培を求めて移住し、チリにはフランス風の豪華なシャトーが今でも残ります。また、チリが、ワイン主要生産国の一つであるスペインの植民地であったことも、チリにワイン文化を根付かせるようになりました。日本とチリは、2007年にEPA(経済連携協定)を締結し、そこから2019年まで、段階的に輸入関税をゼロにする取り決めをしました。それ以来、安くて美味しいチリワインの輸入量は増え続けています。今回ご紹介するアラメダ・シャルドネは、爽やかなフルーツの味わいでバランスの良いチリの白ワインです。手軽にランチなどで飲まれるには、最適でしょう。
更新日時 : 2018年02月23日
カテゴリ : 世界のお酒
もともとマラスキーノは、ダルマチア地方で、神のお酒として伝統的に作られてきたリキュールでした。原料となるマラスカ種チェリーは、小さくて黒くて苦みが強く、乾燥させて安く売るだけの商品価値しかない無価値なフルーツです。そのマラスキーノが一躍脚光を浴びたのが、ナポレオン戦争のときでした。全ヨーロッパが武装し、各地で戦いが繰り広げられる中、兵士たちはマラスキーノのような強いお酒に群がりました。よりいっそう酒精を強くしたショック・マラスキーノも作られ、ダルマチア地方は時ならぬ活況を呈することになります。しかし、ナポレオン戦争の終結とともに、マラスキーノは見向きもされなくなります。イタリアのルクサルド社の創業者であるジロラモ・ルクサルドが登場するのは、マラスキーノ業界が暗雲におおわれていたこの時代です。彼は原点に立ち返り、それをさらに洗練させた新しいタイプのマラスキーノ作りに挑戦していきます。納得のできる洗練された豊潤な香味が得られるまで、彼は何度も蒸留実験を繰り返したといいます。ジロラモ・ルクサルドがダルマチア地方に最初の工場を建てたのは1821年、彼が37歳のときでした。8年後には、時の権威であったオーストリアから専用製造権という特権を授与され、ルクサルド・マラスキーノはリキュールとしての確固たる地位を確立していくことになります。マラスキーノ・ルクサルドは世界中に輸出されていきました。このリキュールを最も愛したのがオーストリア皇帝でした。ルクサルド・マラスキーノの飲み方は、チェリーの濃厚な味わいを生かしたカクテルが一番です。単にソーダで割るだけでもさっぱりとして美味しいです。また、カクテル以外にも製菓用として世界中のパティシエに愛されています。
更新日時 : 2018年02月09日
カテゴリ : 世界のお酒
180年ほど前、スペインの植民地支配下にあったベネズエラでは、現地民のインディオやアフリカ黒人奴隷がコーヒー・ココアの栽培や金の採掘といった労務に酷使されていました。これを見て立ち上がったのが、のちにコロンビア大統領となったシモン・ボリバルです。
ボリバルは、コロンビア独立軍を率いて戦い、ベネズエラ独立へのきっかけを作りました。1820年代のことでした。この戦いのさなか、ベネズエラ・オリノコ川流域にあるアンゴスチュラの町にあった英国陸軍病院でアンゴスチュラ・ビターズは生まれました。この病院において、ベネズエラ解放軍の軍医として従軍していたドイツ人医師J・シーガート博士が食欲不振・胃の疾患を訴える兵が多いのを見て、1824年にある薬用酒を考案しました。これがアンゴスチュラ・ビターズです。このアンゴスチュラ・ビターズはジェンシアン(りんどう属)を主体に、シナモン・キナ皮・アンジェリカ・コリアンダー・アーモンド・ナツメグ・カルダモンなど各種薬草と香辛料をラム酒に浸漬して作ります。健胃・強壮・解熱の薬効があり、西インド諸島ではマラリアの予防薬として用いている所もあります。また現在でもBarなどでは胃薬的な扱いをしている所もあります。現在は、ベネズエラの政情不安のため、アンゴスチュラ(のちに英雄の名をとってシウダド・ボリバル市と改称)からトリニダードトバゴに移り、生産しています。最近飲み過ぎたというお方は、ジントニックなどに数滴アンゴスチュラ・ビターズを入れて飲んでみたらいかがでしょう。風味もまし、調子もよくなること請け合いです。マンハッタンもいいですよ。