このワイルドターキー・フォーギブンは大変ユニークな物で、偶然生まれた奇跡のレシピとされています。ケンタッキー州のワイルドターキーの蒸留所に勤務する従業員が、飲みごろを迎えタンクに移されていたバーボン原酒の中に、誤ってライウイスキーを注いでしまいました。当初はマスターディスティラーも大変な損失に繋がると怒っていたようですが、そのウイスキーの出来栄えの良さにそのミスをしてしまった従業員を許し『Forgiven=許された』という商品名でボトリングを行いました。一般的にライウイスキーは、バーボンよりも香りやコクが深いものが多いですし、普通のターキーですとアルコール度数が50度あるのですが、ワイルドターキー・フォーギブンは45.5度で日本人には飲みやすいですね。カラーは、ワイルドターキー8年物より薄めのアンバー。バーボンウイスキーによく見られるエステル臭が低く、バニラの甘い香りが漂います。口に含むとしっかりとした穀物とナッティーな甘さがゆったりと広がります。ミディアムボディながら飲みごたえがしっかりと有り、フィニッシュはシンプルでスムースな甘さが続きます。ロックにするとライ麦の苦みの様なコクと共に甘くスッキリとした印象がうかがえます。ソーダで割ってもスムースで飲みやすく切れのあるハイボールに仕上がり、ライウイスキー特有のコクのある香りと味わいも楽しめます。
更新日時 : 2017年11月24日
カテゴリ : 世界のお酒
収穫したばかりのガメイ種から造られるフレッシュなワインは、1800年代からデイリーワインとしてブルーゴーニュ地方のボージョレ周辺の地元住民を中心に楽しまれていました。そんな「地酒」であったボージョレー・ヌーボーが、1967年フランス政府によって公式に11月15日を解禁日として発売することが認められたのを期に、パリのレストランを中心に大ブームとなったのです。そして 1970年代に入ると陸路・空路の発達に伴い、そのフレッシュな味わいが日本を含め世界中に知られることとなりました。現在、ボージョレ・ヌーボーの解禁日は毎年11月の第3木曜日です。しかし実は一番最初は11月11日が解禁日でした。それは、ボージョレ地区で最も収穫の早いワインが出来あがるのがいつもだいたいこの日の周辺であり、さらにこの日はサン・マルタンの日という聖人の日であったため、縁起も良いしボージョレ・ヌーボーの解禁日にしよう、ということになったのです。ところが後に11月11日はサン・マルタンの日から無名戦士の日に変更されてしまったため、その日から一番近い別の聖人の日、サン・タルベールの日である11月15日に解禁日を移しました。しかし、解禁日を固定してしまうと、年によっては土曜日や日曜日になってしまい、売れ行きにも大きな影響があります。(フランスでは日曜日は殆どのワインショップ、レストランがお休みなのです。)そこで、「毎年、11月の第3木曜日」という、毎年変動する解禁日に設定した、というわけです。日付変更線のために、日本は最初に11月第3木曜日が来ます。さあ、初ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー ドメーヌ・ドリー2017で乾杯!
南フランスのメドック地区のあるボルドーは、ジロンド県の県庁所在地です。このジロンド県の出身者が多かったことから、フランス革命時、ジロンド派が一旦政権を握ったことがあります。その中心人物が右のロラン夫人です。民間出身のロラン夫人は上昇志向が強く、20歳年上の工業監督官ロラン氏と結婚し、リヨンに住んでいました。フランス革命が始まったのちロランはリヨン代議員に選ばれ、リヨンの債務削減交渉のためパリに派遣されました。夫婦2人でパリに上京すると、ロラン夫人はブリッソーやピュゾーらジロンド県出身者の集まるサロンを経営し、ジロンド派を立ち上げます。彼女はロラン氏のお尻を叩き続け、ついにはロラン氏を内閣の筆頭大臣である内務大臣にまで登らせました。しかし、ロベスピエール好みの彼女はダントンと決裂し、最後にはすべてを失い処刑されました。彼女の「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」という処刑前の言葉は有名です。処刑された2日後、逃亡先でその知らせを聞いたロラン氏はは自殺しました。ロラン氏にとっては恐妻でもありますが、可愛い奥様でもあったのでしょう。さて、1889年創業のジェ.ジェ.モルチェ社は、当時、ボルドー地方メドック地区第一級格付「シャトー・ラフィット」の管理責任者であり、更にいくつかのぶどう園のオーナーでもあったルイ・モルチェによって設立された歴史ある名門ネゴシアンです。そのジェ.ジェ.モルチェ メドックは、ミディアムボディで非常にキメ細かく、香気があり、素晴らしいブーケをもっております。ロラン夫人を偲んで乾杯!
更新日時 : 2017年11月03日
カテゴリ : 世界のお酒