世界のお酒

オールドウオッカエカチェリーナ2世白樺の活性炭でジーズネンナヤ・ヴァーダー(命の水)つまりウオッカを濾過する製法が開発された時は、エカチェリーナ2世のもとロシアが段々強国になっているときでした。エカチェリーナ2世は、プロイセンの小貴族の娘でしたが、ピュートル3世と結婚しました。ところが、夫のピュートルは、反ロシア的であり、反ギリシア正教的であり、またエカチェリーナを皇后の座から降ろそうとしたため、彼女はクーデターをおこしました。エカチェリーナは、軍服の男装で軍を鼓舞し、ロシアの国益のみを図る啓蒙女帝となりました。そのエカチェリーナの積極性あるいは進取性のせいか、当時ウオッカもフレーバーウオッカを生み出しました。その中に、クリミア産のリンゴと梨の葉を浸漬し、ポートワインや砂糖シロップそして3年熟成のアルメニア産のブランデーをブレンドしてオーク樽で3年以上熟成させて作られるスタルカというウオッカがあります。ほかのウオッカにはない香りと、豊かなコクをもち、さらに辛口です。スタルカは帝政ロシアの名残があるためか、ソ連時代はオールドウオッカと呼ばれていました。ソ連が崩壊してしばらく終売となり、幻の銘酒でした。2009年スタルカとして復刻しました。ロックでも十分美味しいですが、冷凍庫で十分冷やしてドロッとしたスタルカをストレートで飲むのが通だそうです。

更新日時 : 2016年06月17日
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i-canadian トルドー首相夫妻伊勢志摩サミット一番乗りは、カナダのイケメン首相トルドー夫妻でした。カナダを冠にしているウイスキーのお話をしましょう。1816年米国マサチューセッツ州にハイラム・ウォーカーは生まれました。9歳で父親を亡くし、20歳の時ボストンの食料品店で見習いを始めました。1838年デトロイトで自分の食料品店をオープンし、穀物商にもなりました。さて、この時代米国では、酒類の販売はドラッグストアのみの専売で、食料品店は販売できませんでした。さらに段々禁酒法運動が力を増していました。そこでハイラムは、1856年デトロイト対岸のカナダの土地を購入し、蒸留所を建て、ウイスキー業界に名乗りをあげました。さて、ハイラムのウイスキーは、当時のアメリカ紳士の社交場であった各地のジェントルメンズ・クラブで好評を博し始めたので、クラブ・ウイスキーと最初にブランド名を付けました。ところが、クラブ・ウイスキーの人気急騰に脅威を感じたアメリカ・ケンタッキー州のバーボン業者は、ロビー活動を実施、カナダ産ウイスキーとアメリカ産ウイスキーを区別するよう政府に求めました。そのため、1890年カナディアンクラブと言うウイスキーが生まれました。ところで、消費者にとっては、名前がカナディアンとなろうが、カナダの長い冬に育てられたスッキリした味わいに魅了され、CCの愛称で世界中で愛されるカナディアンウイスキーになりました。

更新日時 : 2016年05月27日
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ボッラ ソアーヴェ神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は第6次十字軍で、エルサレムを無血開城に導きました。しかし、法王グレゴリオ9世はあまりにもその開城がイスラム教徒と融和的であるために、フリードリヒ2世を許すことができません。ついには、北イタリアで法王を支持するロンバルディア同盟軍と皇帝軍が激突しました。北イタリアのヴェローナも例外ではありません。ヴェローナの貴族モンタギュー家は皇帝派、キャプレット家は法王派と別れ、血を血で洗う抗争が繰り返されました。シェイクスピアはこの抗争を「ロミオとジュリエット」と言う名戯曲に仕立てました。モンタギュー家のロミオとキャプレット家のジュリエットの悲劇、この芝居好きがみんな知っているヴェローナの近郊ソアーヴェ村に、1883年ボッラ社は創業しました。ボッラ社はイタリア白ワインの代名詞「ソアーヴェ」を生産しています。花のような香りのフレッシュでフルーティな辛口です。飲み口は爽やかでスッキリしています。魚介料理をはじめ、どんな料理ともよく合います。ブドウ品種はギリシアを起源とするガルガーネガ種です。テーブルワインとしてお勧めする逸品です。

更新日時 : 2016年05月14日
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